7回にわたってお送りしてきた植賀寿夫さんと國廣幸亜さんの連載も今回が最終話です。介護・福祉の現場で奮闘してきた植さんが考える、「介護の役割」「介護に必要な新しい価値観」についてお話していただきましょう。
放課後にサッカーを続けてきたヤマダ君の発作が起きにくくなった!

前回、ぼくが養護学校でバイトしていた時期の話をしました。心臓に障がいを抱えるサッカー大好き少年「ヤマダ君」と、うまいことサッカーをする方法を見つけるまでを書きました。今回もその続きから。
対応法を見つけて以来、ぼくとヤマダ君はしょっちゅう一緒にサッカーするようになりました。ただし、先生つきで。
先生はヤマダ君じゃなくて、ぼくを止めるためにくっついてたんです。
でも、ぼくらがサッカーをしてる横でボケッと突っ立っているわけにもいかず、先生もサッカーをやるようになりました。すると、見ていた他の生徒も加わるようになり、中には電動車椅子でサッカーする生徒まで出てきたんです。
電動車椅子はなかなか手強いので、ドリブルしてくる電動車椅子の生徒にぼくらは3人がかりで襲いかかり、ひとりがコントローラーから手を引き離し、ふたりめが車椅子の電源を切り、そのすきに3人めがボールを奪う……といった具合に、思わぬ盛りあがりを見せるようになりました。
そんなことをくり返していると、どういうわけかヤマダ君は、20 分、30 分とプレーしても発作を起こさないようになっていきました。体力がついてきたのかもしれませんが、よくわかりません。
「させない」のが福祉? 本来の「福祉の役割」とは何だろう
ヤマダ君は、心臓の問題があるから事故予防のため養護学校に来ていたわけです。でも、養護学校でも事故予防の一点張りです。「危ないから、させない」のであれば、福祉を利用する必要はないでしょう。「させない」だけであれば近くの中学校で十分対応できるはずです。
これが、福祉の役割じゃないか? もちろん、できないこともたくさんありますが、頭から「あれダメ・これダメ」と禁止するのは、本当に介護・福祉の仕事や役割なのか? 禁止するのは、それこそ誰でもできることで、専門職が第一にやることではないはずです。
その当時はまだ漠然としていましたが、こんな疑問がぼくの中でわき上がっていました。
ぼくが好きなのは「挑戦」。覚悟を決めて動けば必ず何かに当たった

施設には色があり、理念もあります。しかし、色や理念があることが逆に異質の人を受け入れられなくなっている。ぼくは、さまざまな経験をするうちに、施設の色や理念を掲げて利用者に合わせてもらうのではなく、施設で働くぼくたちが、その人のこだわりにこだわりたいと思えるようになりました。と、連載第1回でお話ししました。
とはいえ、本人だけの言葉で動こうとしても組織や責任があります。両者とのすり合わせに時間をとられ、誰のための介護なのか、わからなくなることもあります。「管理」「安全」という言葉が重く感じられ、「生活」とはほど遠い管理体制が、本人の「当たり前の日常」を邪魔しています。
ぼくが勤めていた施設「みのりグループホーム川内」では、「嘘をつかない」「今の今」を基本姿勢としてきました。選んで入居した入居者は一人もいないのです。希望ではない選択だったとしても“悪くない出会い”として折り合いをつけてもらいたい。
ぼくは、「挑戦」という行動が好きです。頭で計算するのではなく、「なるようになる」と覚悟だけ決めて動く。そして動けば必ず何かに当たりました。
たとえば、あるお年寄りとお墓を探しにいったところ、60年ぶりに墓が見つかったことがありました(連載第2回参照)。あるいは、10年ぶりに離ればなれに暮らしていた姉が見つかったこともありました。ぼくの本『認知症の人のイライラが消える接し方』に少し書きましたが、山にも登ったり、おじいちゃんの仕事が見つかったことさえあったんです。
そんなことを積み重ねながら、ご本人たちが本当に動けなくなったとき、これまでの思い出をベッドのそばで話せたらいいなぁと思っています。
疲れても、衝突しても……なぜ、ぼくは介護の仕事を辞めないのか
ぼくが「みのり」に入職したとき、その前に職員がしていた介護を180度変えるような指示をしました。介護職として、職員はプライドが傷ついたと思います。
しかし、グチを言いながらも一生懸命変わろうと努力してくれました。協力するどころか自ら行動し、施設を変えてくれたベテラン職員。はじめはお世辞にも仲がよかったとは言えません。しかし、一緒に仕事をするうちに心強い仲間になりました。
時には、ぼくたちも何かに頼らなくてはやっていられない現実もあります。休日に妻と娘を連れて動物園に向かう途中で、職場に行かなくてはならない日もあります。どちらも大切な存在です。親が危篤にもかかわらず、シフトを守ってくれる職員。嫁の立場もあるのに盆、正月は勤務になる。せめて管理や責任より、現場での楽しみを優先したい。介護を楽しんでいきたい。
施設を支えている利用者、家族、それから運営推進会議で毎回10名近くが集まってくれた地域の方々は、ぼくたちの挑戦に快く協力してくれる本当にありがたい存在です。
ぼくがこう考えるようになったのは、これまでの経験があったからだと思います。
これからの介護職がこだわっていきたい「新しい価値観」とは

介護は、制度が出来て20年です。介護と似た職種として看護がありますが、看護は100年以上の歴史があります。他にも100年以上の歴史がある職種は多く、その職ならではの価値観や常識があります。どの職種も初めから今の形態になったのではなく、自分たちで実践を積みながら現在に至っています。
介護はまだまだ今からの職種です。かかわっているぼくたちは、何にこだわっていけばいいのか。介護は、ほかの分野とは少し違う新しい価値観が必要だと思います。
介護は、「売り上げ」でもなく「数値化」でもありません。「居心地」や「安心」「信頼」といった、その人の主観を軸に形成される事業です。評価できにくい分野だとも思います。
血液数値、車の燃費、販売台数日本一などなど、数字は説得力があります。たとえば、上司が「売り上げ1位」であれば言うことにも重みがありますよね?
介護はどうでしょう。数字や立場とかでなく、「馬があう」世界です。どんなに立派な肩書の人がお風呂に誘っても入りません。それより「仲の良い職員」なら入られる。
これと同じだと思うんです。
その気持ちは数値化できない。その人の主観によって「すごく感動したかどうか」ですよね。
この世界が介護です。新しい価値観が必要になっているというのは、そういうことなんです。
新型コロナウイルスによって、「友達と会う喜び」など人と人との繋がりの大切さを改めて感じることができました。「数値化していなかった新しい価値観」に誰もが気付いた年でもあると思います。
介護職だけで「老後」を形作るのではなく、自分で老後を形作っていく。その中に私たちのような介護職がかかわれたら良いなと思います。
著者/植賀寿夫
イラスト/國廣幸亜
第6回を読む「養護学校のバイト体験~ぼくの介護観を変えた生徒たち」