専門学校時代、養護学校(現・特別支援学校)の宿直非常勤講師としてバイトを始めることになった植さん。思いがけない事件の連続だったそうですが、その中でも忘れられない出来事を今回はご紹介します。植さんの「介護観」を変えた生徒たちとは、どんな人物なのでしょうか。
面接日から驚きの連続だった養護学校でのバイト体験
専門学校時代にはもう一つ、ぼくの介護観を変える体験がありました。
お金がなかったぼくは、専門学校に通いながら、アルバイトをかけもちして、生活費などに充てていました。バイト先のひとつが養護学校(現在は特別支援学校)の「宿直非常勤講師」でした。
その養護学校では、月曜日から金曜日まで泊まる生徒のための寮がありました。長い校舎の一部分が住居スペースになっていて、大浴場もあり、6人部屋があります。ここで子どもたちが暮らしているわけですから、当然、食事や入浴などの介助が必要となりますが、その介助の補助員として週2回勤務の非常勤で雇ってもらいました。ここで生徒と一緒に寝泊まりして2年間働いたんです。
この学校では、驚くようなことばかりでした。忘れられないのが面接の日のことです。
とりあえず校舎に入ったものの、誰かが案内してくれるわけでもありません。どこに行っていいのかまったく分からないまま、長ーい廊下の端で立ち尽くしていると、向こうから男子生徒が2人走ってきます。そして、ぼくが開けたままにしているドアから外へ出て行ってしまいました。少しすると今度は、「待てコラぁぁぁ!」と叫びながら、先生とおぼしき大人が駆け抜けていきました。
その光景にぼくが驚いていると小柄な男性が、「どうされました?」と声をかけてきました。
「面接に来ました」と答えると、「こちらへどうぞ」と、応接室のような部屋へ案内してくださいました。ソファに座ると、その男性がぼくの向かいに座って話し始めるではありませんか。
<先生か!?>
と慌てて背筋を伸ばし、面接モードになったのも束の間、いかにも体育会系の先生が部屋に来られ、「コラァ!」と一喝。小柄な男性は逃げて行きました。
<せ、生徒だったんかい!>
とんでもないところに来たと思いました。

心臓に持病のある生徒・ヤマダ君がぼくの目の前でぶっ倒れた!
養護学校で忘れられないのがヤマダ君という生徒です。心臓に持病があるそうで、先生から「懸垂には気をつけるように」と申し送りを受けました。
そこでヤマダ君の部屋に行くと、その彼がぼくに、「先生、見ててよ」と言って、その場で教室のドアの上部にぶら下がって懸垂を始めます。
<え、え!? 懸垂って、このこと?>
止めなきゃと思うまもなく、懸垂を数回し終えたと思ったら意識が朦朧としてる。慌てて支えました。
「えぇぇぇぇ!?」
もう、むちゃくちゃでした。
このヤマダ君はサッカーが大好きで、サッカー雑誌を読みふけっては得意げにぼくに語ってきました。ぼくは小学校のときからずーっとサッカーをやってきたので、話が合いました。でも、ヤマダ君はプレーするわけじゃありません。
あるとき、あんまり偉そうに語ってきたので、つい、「なんやお前、偉そうなこと言いよるけど、雑誌読みよるだけじゃないか」って軽口をたたいたんです。そうしたらヤマダ君がすごく寂しい顔をしました。
<あれ、まずかったかな……>と思って「ごめん」とぼくが謝ると、「いいよ」と許してくれました。そのヤマダ君が言います。
「やりたいけど、やっちゃいけんのよ……」
「何で?」
「発作で危ないけぇ……」
ぼくは発作というのがどんなものか、よくわからなかったので、「発作ってどんなもん? 発作で死ぬの?」と尋ねたら、「いいや、死なんよ」とヤマダ君。
「じゃあ、発作でどうなるん?」
「眠たくなる」
「それだけ?」
「うん。でも、倒れて頭打ったら危ないけぇ……。ヘッドギアかぶるのはイヤじゃし」
ヘッドギアというのは、頭を保護するためにかぶる福祉用具です。要するに、発作自体は命にかかわるモノではないが、福祉用具を拒否していたから運動できないというわけです。
「発作って急になるん?」
「なるのはわかるんよ」
「じゃあ、発作になる前に座ればいいんじゃないん?」
「そうよ」
「発作が起こるのは怖くないん?」
「怖くないよ」
「じゃあ放課後、サッカーしようや」
そして放課後に体育館でサッカーすることになりました。
障がいがあってもサッカーはできるんだ! ヤマダ君とぼくの挑戦

ところが実際にやってみると、ヤマダ君は5分ほどでものの見事にバターンと前のめりにぶっ倒れてしまいました。
すぐにヤマダ君を保健室に担ぎ込みました。ヤマダ君はまもなく目を覚まし、保健室の先生も「後頭部を打った様子もないし、病院に行く必要はない。様子を見よう」ということで事なきを得ました。
ぼくは<しまったなー>と思いました。今でこそ、この自分の対応はまずかったと思いますが、その当時はまだ素人でしたから、誰が“悪い”のかわかってなかったんです。
数日後、ヤマダ君がぼくに、「先生、サッカーしよ!」と誘ってきました。
「お前! 『発作が来るときにしゃがむ』って約束したじゃないか。約束守れんのだったら、もうサッカーはせん」
「ごめん。次はちゃんと約束守る」
「じゃあ、サッカーやろう」
ってことになり、早速その日の夕方にやってみました。
ヤマダ君はまた5分ほどで発作を起こしましたが、今回はしっかりしゃがんでコロンと転がりました。またもや保健室へ担ぎ込みましたが、今度はぼくも自信を持って、
「転がったんで、頭は打ってません!」
と堂々と言えました。
そのときの保健の先生の表情は、今となっては記憶にありませんが、たぶんドン引きしてたでしょう。<何してくれとんじゃ……>と。そう思うのが普通だと自分でも思います。
当時のぼくは、まだ専門学校生。養護学校で働いているといってもバイトの身で、何の資格もない素人同然の人間だったので、そんなことはお構いなし。目が覚めたヤマダ君を、「お前、うまくやったじゃないか!」と褒めるありさまでした。
ですが、ぼくはこのヤマダ君との放課後のサッカーを通じて、「福祉の役割」についての考えを深めるようになっていくのです(次回につづく)。
著者/植賀寿夫
イラスト/國廣幸亜
第5回を読む「介護の世界を変えてやる!~決意のとき~」
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