防ぎようがない事故も、介護計画書の書き方によっては過失になってしまいます。実際にできることのみを書き、なおかつあいまいに書かないことが大切です。
事故の状況説明
まずは利用者Dさんご本人と事故発生時の状況、事故に対しての施設の対応、トラブルに至る経緯を見てみましょう。
利用者の状況
Dさん
87歳・女性・要介護2・脳梗塞、左片マヒ(軽度)、重度認知症
歩行は自立していますが、軽度の左片マヒがあるために不安定。重度の認知症があり、入浴や排泄は介助が必要です。週に2日、デイサービスを利用しています。
事故発生時の状況
Dさんは歩行が安定しないにもかかわらず、突然車椅子から立ち上がってしまうことがあります。危険なので職員はなるべく目を離さないようにしていました。
ある日、利用者帰宅の時間帯で6人いる職員がバタバタしていたときに、突然Dさんが車椅子から立ち上がったと思ったらそのまま転倒してしまいました。体の右側から転倒し、右腕を床にぶつけたようです。近くに職員はいましたが、ほかの利用者の帰り支度をしていたので転倒を防げませんでした。
看護師が確認すると、右腕に痛みがあるようでした。バイタルチェックでは、血圧134/84、脈拍56。すぐに家族に電話し、状況報告と謝罪をしたうえで病院での受診許可をいただきました。その結果、右手首骨折で全治6~8週間と診断されました。
受診後、説明と謝罪のために施設長と相談員が利用者宅を訪問。すると長女が「通所介護計画書では『歩行は見守りが必要』と書かれている。転倒したのは見守りを欠かしたことが原因で、施設の過失だ」として、治療費と通院介助を求めてきました。施設は、その要求を受け入れざるをえませんでした。
過失はないのに賠償責任が発生してしまった
この事例の場合、転倒を防ぐことは非常に困難です。立ち上がってそのまま転倒してしまうという事故は、本当に瞬間的に起こります。防げるのは「利用者が立ち上がったときにたまたま職員が近くで見ていて、運よく転倒する前に駆け寄って支えることができた」というケースのみです。常識的に考えて、非常に確率が低いことがわかります。
こういう「防ぎようがない事故」は、厳密に言えば施設側に過失はありません。しかし、家族は「契約違反(※)のために起きた事故だ」と認識します。つまりこの事故は、「施設側に過失はないのに、家族との認識のズレによって賠償責任が発生してしまった事故」と言えるのです。
※介護計画書の内容は「契約事項」とみなされます
トラブルを誘発したポイントは?
ポイントとしては次の2つが考えられます。
介護計画書に、実際にはできないことを書いてしまった
DさんのADL評価は「歩行は自立しているが不安定」でした。そこで、「移動するときは歩行介助までしなくても、見守り程度で大丈夫」と考え、「歩行は見守りが必要」と書いてしまいました。
デイサービスを利用している間、1秒たりとも目を離さずに見守ることは不可能です。いつ歩行が始まるかわからない以上、この表現では「実際にはできないこと」を介護計画書に安易に書いてしまったことになります。
突然車椅子から立ち上がる根本原因について考えなかった
Dさんの場合、今までも何度か突然車椅子から立ち上がることがありました。そのときに「なぜ立とうとするのか」の根本原因を考えず、見守りでしのごうと考えてしまったことも、事故の原因の一つです。
そもそも見守りだけでは立ち上がりを防ぐことはできません。立ち上がろうとするからには、「座っていたくない理由」があるはずです。その理由を改善できれば、転倒を防ぐことができたかもしれません。
介護計画の表現をあいまいにしないことが大切
この事例で施設側に賠償責任が発生した原因は、介護計画書に「歩行は見守りが必要」と書いたことでした。「見守りが必要なのだから、常に職員が見守ってくれているはずだ」ととらえられてしまったのです。
実際には、施設で1人の利用者をずっと見守ることはできません。このように、介護計画書の表現をあいまいにすると、思いもよらない誤解を生んでしまうことがあります。
介護計画書を書くときは、「防げない事故もある」ということを理解してもらうことが大切です。
下に、今回のトラブルを防げたであろう介護計画書の一例を挙げました。この介護計画書の「ポイント」を参考にしながら、家族に正確に理解してもらえる介護計画書の作成を目指すといいでしょう。
このトラブルを回避する方法 | 介護計画書作成時のポイント解説
契約のときに、あいまいな表現で家族に誤解を与えないことが大切です。自立歩行で転倒の危険がある利用者には、介護計画書の表記も以下のように気をつける必要があります。
お年寄りが突然立ち上がるおもな原因と対策は?
介護計画書の記載に誤解を与えるような表現があったことは問題ですが、事故自体についても疑問が残ります。
Dさんは、それまでに何度も車椅子から突然立ち上がってしまうことがあったようです。そのときに根本的な原因を考えず、見守りを強化するだけしか対策をとらなかった点についても、問題だったと言えます。このときに立ち上がってしまう根本原因を考えて改善していたら、そもそもこの事故は起きなかったかもしれないのです。
それでは、Dさんが突然立ち上がってしまう原因について考えてみましょう。Dさんが立ち上がってしまうのには、「何かしらの、座っていたくない理由」があるはずです。
しっかり歩けないお年寄りが立ち上がってしまう原因の代表的なものを3つ、下に挙げました。この中から一つひとつ当てはまるものがないか、探してみるべきでした。
歩けないお年寄りが立ち上がってしまう原因の代表的3つ
突然車椅子から立ち上がってしまう根本原因は何なのか、考えてみましょう。代表例を3つ挙げて解説します。
車椅子の座り心地が悪い
車椅子の座面が古くなってたるんでいたりすると、お尻が痛くなることがあります。車椅子の座り心地を改善したうえで、ふだんはなるべく椅子に移乗してもらうことが必要です。
車椅子の座面に板を置き、その上に低反発クッションを置くと座り心地が大幅に改善します。背中や腰に痛みがある人は、背中にも当てるといいでしょう。
尿意・便意がある
尿意や便意があるときも、突然立ち上がることがあります。また、おむつを当てている利用者の場合は、おむつ内に排泄した不快感から、急に立ち上がることが多いようです。
頻繁に排泄誘導をしたり、おむつを外してポータブルトイレでの排泄を促した施設では、突然立ち上がって転倒する事故が激減しました。
行きたいところがある
座っていたくない理由の一つが「どこか行きたいところがある」です。Dさんの場合、利用者帰宅の時間帯だったので「私も帰りたい」と焦ってしまった可能性があります。
利用者が焦りそうな状況の場合、積極的に声かけをすることで焦燥感を和らげる方法も有効です。説明すれば、納得してくれることもあります。
著者/山田滋
監修/三好春樹、下山名月
編集協力/東田勉
イラスト/松本剛
※本連載は『完全図解 介護リスクマネジメント トラブル対策編』(講談社)の内容より一部を抜粋して掲載しています