利用者側とのトラブルから訴訟に発展した場合どうなるかを、実際に裁判になったケースで見てみましょう。たとえ施設側に言い分や理由があっても、裁判となると「介護の世界の常識」が通用するとは限らないことを覚えておきましょう。
訴訟になった2つのケースをご紹介
「特養での誤嚥事故」「老健での転倒骨折事故」の2つの訴訟ケースをご紹介します。
【ケース1】特別養護老人ホームでの誤嚥死亡事故(横浜地裁)
利用者のCさんは、多発性脳梗塞と重度の認知症で全介助を必要とする73歳の男性。ショートステイを3日間利用していた。3日目の朝食後に薬を飲ませたところ、その直後にCさんに異変が起こった。異変を発見したのは午前8時25分頃で、8時40分頃に救急車を要請。8時50分頃に救急車が到着したときには、すでに息絶えた状態であった。
争点①死因は誤嚥か
争点②応急処置
この裁判では、職員の過失を認め、総額2,200万円の損害賠償請求を認めるという判決が下されました。判決理由は次の通りです。
判決理由①死因は誤嚥と確定
- Cさんは食事の際に飲み込みが悪く、口に溜め込んで時間がかかることがわかっていたこと。異変が朝食直後に起きていること。この2点から考えて、Cさんの異変を発見したときに真っ先に誤嚥を疑うべきであった
- 救急隊員の応急処置において、口腔内から異物が発見されていること。検死をした医師の診察結果でも気道に異物が発見され、死因は窒息と断定されている
この2点からも死因は誤嚥で確定する。
判決理由②応急処置に職員の過失あり
- 誤嚥事故が起こっているにもかかわらず、職員は吸引器を取りに行くことをしなかった
- 仮に、速やかに背中を叩くなどの方法をとっていたら、Cさんを救命できた可能性は大きい
- 午前8時25分頃に異変を発見しながら、8時40分頃まで救急車を呼ばなかったのは対応として遅すぎる
- 緊急時にまず家族に連絡して指示を仰ぐという硬直した体制をとっていたことも問題
【ケース2】介護老人保健施設での入所者転倒による骨折事故(福島地裁)
介護老人保健施設に入所していた当時95歳の女性であるDさんが、自室のポータブルトイレの中の排泄物を捨てにいこうとした。汚物処理場に入る際、出入り口の仕切りにつまずいて転倒し、骨折したという事案である。Dさんはそれまで要介護2であったが、事故により要介護3になった。ポータブルトイレがしっかり清掃されていれば起こらなかった事故だとして、社会福祉法人に対して約1,054万円を請求した。
争点①ポータブルトイレの清掃を怠ったことが事故の原因
争点②ポータブルトイレの清掃は事故と直接の因果関係はない
この裁判では、職員の過失を一部認め、慰謝料100万円と付き添い費用210万円など、計537万円の支払いを命じるという判決が下されました。判決理由は次の通りです。
判決理由①ポータブルトイレの定時清掃を怠ったことと事故との間に、相当因果関係が認められる
- 居室内に置かれたポータブルトイレで、中身が廃棄・清掃されないままであれば不快である
- 不自由な体であれ、老人がこれを汚物処理場まで運んで処理・清掃したいと考えるのは当然である
- 契約の段階で介護ケアサービスの内容として、入所者のポータブルトイレの清掃を定時に行うべき義務があった
したがって、事業者側は債務不履行責任(契約違反)を負う。
判決理由②介護マニュアルが遵守されていなかった点も考慮
- 事業者側は「利用者は職員に頼んで処理してもらうことができたはずである」と主張するが、そもそも「ポータブルトイレの定時清掃を行う」という介護マニュアルが遵守されていなかった状況がある
- たとえ利用者がポータブルトイレの清掃を頼んだとしても、職員がただちにかつ快くこれに応じて処理していたかどうかは不明であると言わなければならない
- したがって、ポータブルトイレの定時清掃を行う義務に違反したことと事故との間の相当因果関係を否定することはできない
介護事故裁判において賠償責任が生じる基準は?
基準は「予見可能性」「結果回避義務」「債務不履行責任」の3つがあります。
- 予見可能性
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- 介護の専門家として、その事故が予見できたかどうか
- 注意を払っていたかどうか
- 結果回避義務
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- 事故という結果を回避するために、適切な措置をあらかじめ講じていたかどうか
- 債務不履行責任
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- 事業者が契約上の義務をしっかり果たしていたかどうか(契約に違反する行為はなかったかどうか)
- 債務不履行で損害賠償請求を受けた場合は、事業者は「自らに責任がなかったこと」を証明しない限り、責任を負うことになる
この基準について、今回ご紹介した「誤嚥死亡事故」「転倒骨折事故」それぞれのケースで考えてみましょう。
ケース1:誤嚥死亡事故の場合
この事故では、誤嚥事故が起こったことが争点ではありません。
あくまで「誤嚥が死亡に至ってしまう」という結果を回避するために、適切な処置がなされなかったという「結果回避義務」を怠ったために法的責任を問われました。
ケース2:転倒骨折事故の場合
この事故では、契約書に「定時でポータブルトイレの清掃を行う」と明記されていました。そのため「債務不履行責任」による賠償請求が認められました。
ただし、定時清掃が具体的に規定されていなくても、結果回避義務などによって法的責任を問われた可能性が高いと思われます。
裁判の事例から得られる教訓は?
今回ご紹介した2つの訴訟ケースから学べるのは、「対応の甘さは致命的な問題になる」ということと、「過失認定は”ある・なし”どちらに転ぶかわからない」ということです。
対応の甘さは致命的
老人福祉施設の事故トラブル案件で目立つのは、事故発生時の対処の甘さが原因で訴訟に発展している事案です。
事故後の処置が万全であったかどうかの判断には、処置に当たった人の能力や経験は考慮されません。職員の能力が足りなければ、処置能力のない人にやらせた施設の過失が問われます。つまり、「施設として万全の処置をとれる体制にあったか」ということのほうが問題になるのです。
万全の処置がとれない原因はおもに2つ考えられます。1つ目が「緊急の場合に、誰が何を行うのかの具体的なルール」が決まっていないケースです。2つ目は、新人職員が異変に気づかないケースです。日頃から「新人職員は異変を発見したら1分以内に先輩職員に報告する。報告を受けた職員は……」など、細かく規定しておきましょう。
過失認定はどちらに転ぶかわからない
介護事故に関する裁判の判決文を読んでいると、介護の世界は司法には理解してもらいにくいことがわかります。
人間が人間らしく豊かに暮らすということは、身体拘束や強制などをされずに自由に行動できることが前提となるはずです。お年寄り本人もそれを欲しています。それに対して「事故を防ぐためには利用者の自由を制限してでも、ありとあらゆる対策を講じなければならない」という裁判所の考え方との間には大きな隔たりがあるのが現状です。
現在の日本においては、介護事故が裁判に持ち込まれてしまったら、過失認定がどちらに転ぶかわかりません。防ぎようがない事故であっても、法的責任を問われることが大いに考えられます。だからこそ「介護事故をトラブルに発展させない家族対応」が重要であり、急務なのです。
2つの裁判から見えてくることは?
介護事故の中の何割かは、事業者と家族との間でトラブルに発展してしまいます。そしてトラブルに発展した事故の中の何割かが、訴訟にまで発展してしまうのです。
訴訟に発展するまでこじれた事案というのは、多くの場合施設の対応に問題があります。「事故時の対応があまりにお粗末で納得がいかない」とか「事故後の家族対応に失礼があり、家族の感情が傷ついてしまった」などがおもな原因です。
訴訟になると「予見可能性」「結果回避義務」「債務不履行責任」などによって法的責任を問われます。残念ながら法的には「介護の世界の常識」や「介護職としての倫理観」などが理解してもらえるとは限りません。ですから裁判にならないためにも、「迅速な事故対応」と「誠意が伝わる適切な家族対応」が大切なのです。
事例に挙げた誤嚥死亡事故では、誤嚥への対処が遅かったことに加えて、救急車の要請が遅かったことも過失となりました。誤嚥が起きたとき、吸引を行えば異物を除去できるかもしれません。しかし、吸引が失敗してから救急車を呼んだのでは遅すぎる可能性があります。
この場合「結果回避義務」の観点から言うと、「あらゆる可能性を考慮して対策を立てる」必要があります。つまり吸引が成功した場合は救急車が無駄足になってしまう可能性がありますが、それでも救命可能な早いタイミングで救急車を要請する必要があるわけです。
事例に挙げた転倒骨折事故の判決によると、「利用者が自ら招いた事故であっても、利用者がそのような行為に出ざるをえない環境を施設側がつくっていれば有責になる可能性が高い」ことがわかりました。施設はただ生活を保障するだけでなく、暮らしやすい環境づくりが義務づけられているのです。
著者/山田滋
監修/三好春樹、下山名月
編集協力/東田勉
イラスト/松本剛
※本連載は『完全図解 介護リスクマネジメント トラブル対策編』(講談社)の内容より一部を抜粋して掲載しています