介護職がご利用者にとって真の理解者となり、プロとしての専門性を高めるために身につけるべきスキルは何でしょうか。その答えは「総合知」に秘められています。初めて聞いた方も多いのではないでしょうか? ここでは「総合知」をわかりやすく解説していきます。
「総合知」は介護職ならではのスキル
介護職に求められている知識は? と聞かれるといろいろな答えがあるでしょう。「やっぱり医療かな?」「いやいや口腔ケアや栄養ケアの知識だろう」「リハビリの知識ではないの?」もちろん、そうした知識も日々求められているものです。
しかし、介護職こそが今、身に着けたいのは、他の専門職にはない知識、「総合知」です。
「総合知」を得るために知るべき分野は医療や看護、リハビリにとどまらない
総合知? 何それ? と思われるかもしれません。「総合知」とはその名のとおり、異なった分野の知識を総動員しながら課題を解決していくという知恵です。
異なった分野というのは何でしょうか。それは、医療や看護、リハビリなどにとどまるものではありません。ご利用者の心のあり方までを理解するためのさまざまな分野です。
人の心のあり方を理解するといえば、何よりも心理学が必要です。認知症の人の心のあり方・揺れ方を察するうえでも、心理学は欠かせないでしょう。
また、その人の「大切にしていること」を理解するには、「残り少ない人生を自分はどう生きるべきか」という根っこ(死生観といいます)に迫らなければならないこともあります。ここには、哲学や宗教にかかわる知識も関係してきます。
さらに、その人の「大切にしていること」は、ご本人の生きてきた時代の影響も受けています。その点では、近現代の歴史などにも通じていなければなりません。
「総合知」こそご利用者の自立をサポートする力に
心理学、哲学や宗教、歴史……。そんなことまで勉強しないといけないの?と思われるでしょうか。
もちろん、大学の先生のように掘り下げて勉強する必要はありません。図書館などで、関連する本をちょっとかじるだけでOK。初級編や入門編とついているような本で十分です。大切なのは、少しでも異なった分野に意識を広げれば、その人が何を「幸せ」と考えているのかを知る手がかりが生まれることです。
ご利用者が自立に向けて頑張るのも、そこに真の「幸せ」があってこそというのは言うまでもありません。つまり「総合知」が、ご利用者の「幸せのありか」を探る手助けとなり、その人の自立をサポートしていくための介護職の大きな武器になるわけです。
必要なのは「本人の取り戻したい生活」を知ること
例えば、ご利用者が「元気だった頃にしていた、こんな生活を取り戻したい」という意向があったとします。そのための機能訓練計画を立てるとしましょう。
安全かつ効果的に機能訓練を進めるには、ご本人の病歴や現在の運動機能の状態(腕や脚がどこまで動かせるか、など)をきちんと調べなければなりません。当然、医療的な知識のほか、人間の身体のしくみなどを知るためのリハビリの知識も必要になります。
このあたりは、医師やリハビリ職に確認をとりつつ計画に反映させていくはずです。
しかし、リハビリの知識だけでは訓練計画はできません。何より必要なのは、「本人がどんな生活を取り戻したいのか」を知ることです。「それは本人に聞けばいい」と思われるかもしれません。でも、そう簡単にはいかないのが、介護という仕事の難しいところです。
どんなケースで「総合知」は活かされるか?
ご本人の中に、「こんな生活を取り戻したい」という思いがあったとします。ご本人にとっての「本当のいきがい」と言っていいでしょう。
ところが、人によっては「本当の生きがいなど、身近な人でなければわかってもらえない」と、あえて表に出さない人もいます。身近でわかってくれる人といえば家族ですが、その家族から「もう年だから、以前のような生活はさすがに無理だよ」などと言われてあきらめが先に立つ人もいるでしょう。
本当の思いを表に出すための「総合知」
家族にもなかなか自分の思いを伝えられない。そうなると、その人が本当の思いを表に出しやすくするための「プロ」が必要です。
その「プロ」こそが介護職であり、ご利用者が「本当の思いを表に出しやすくする」ために活用されるのが「総合知」ということになります。
例えば、ケアマネジャーがケアプランなどを立てる際には、その人がどんな人生を歩んできたか(生活歴)を知るという作業が必要です。
でも、自分の歩んできた人生を、物語のようにぺらぺらと喋れる人は少ないですよね。まして、「できないこと」が増えていれば、自分が輝いていた頃のことを口にするのは、今の自分と比較されそうで「つらい」という人もいます。
そんなときこそ、「プロ」は総合知を駆使してご利用者の「理解者」になることが重要なのです。
「総合知」を駆使して、その人の「理解者」となる
例えば、居室に、若かった頃のご本人の写真があったとします。見てみると、昔の職人時代の仕事着を着ています。
ご本人は昔の職業を口にしたがりませんが、写真を身近に飾っているということは、「その頃の輝き」が本人の支えになっていることが想像できます(心理学の応用ですね)。
いつ頃の写真なのかを聞いてみましょう。「関心を持ってくれた」というだけで、本人の自尊心がそこに戻ってきます。その当時の話を少ししてくれるかもしれません。
その時代のことを知識として知っていれば、「こんなことがあった頃ですね」という具合に話を続けることができます。その当時の職人の心意気などをわかっていれば、さらに相手の話もはずんでくるでしょう。本人にしてみれば、「この人は自分のことをわかってくれている(わかろうとしてくれている)」と思うはずです。
「真の理解者」になって初めて、ご利用者の望む機能訓練が始まる
そうなれば、こちらを「真の理解者」と考えてくれる可能性が高まります。そこから、「本当は今でもこんなこと(職人時代の技を発揮すること)がしたいんだ。でも、難しいだろうな」という本音が出てくることもあります。
その時点で、「どこまでならできるか」を医師やリハビリ職と話し合うとっかかりができます。その人の意に沿った機能訓練が、そこから始まるわけです。
国の検討会でも「総合知」につながる議論が
さて、2020年7月に、厚生労働省の「要介護者等に対するリハビリテーションサービス提供体制に関する検討会」が取りまとめを行ないました。この検討会は、市町村ごとに「地域でこういうリハビリ資源を増やそう」という計画の目安を定めるためのものです。
その目安(指標といいます)の中に、「ADLがどこまで高まったか」などとともに、提案されていた項目があります。それは高齢者の「主観的幸福感」というものです。
「その人の幸せのありか」を評価する芽生え
「主観的幸福感」。言うなれば、「このリハビリによってここまでできた」ことに対する「幸せ」の度合いを目安として用いようというわけです。残念ながら今回は採用が見送りとなりましたが、リハビリについての国の議論の中で、こうした目安が登場したのは注目に値します。
なぜなら、今回述べてきた「その人の幸せのありか」を探ることを、リハビリという専門分野でも評価しようという動きが芽生えたと言えるからです。
医療の世界も変化。でも先を行くのは「介護」⁉
一方、医療でも「病気を治す」だけでなく、「患者のQOL(生活の質)に配慮する」という考え方が少しずつ高まっています。医療も、患者本人の「幸せのありか」にようやく目を向けるようになってきたわけです。
もちろん、この流れを進めるうえでは、これまでの医療やリハビリの知識にとどまらないさまざまな「総合知」が必要となります。その「総合知」という部分では、介護職が一歩前に出ていると言えるのかもしれません。
介護といえば、医療やリハビリの後をついていくと考える人はまだまだ多いでしょう。しかし、気づけば介護の方が先を進んでいたという場面が増えていきそうです。
著者/田中元
(参考)
『要介護者等に対するリハビリテーションサービス提供体制に関する検討会報告書』(厚生労働省)